2025年、24時間テレビのチャリティーマラソンランナーに選ばれたSUPER EIGHTの横山裕さん。
その背景には、波乱万丈な幼少期と、複雑な家庭環境で育った経験がありました。
この記事では、横山さんの母や弟たちとの関係をマラソンランナーに選ばれた理由とともに解説します。
横山裕が24時間テレビマラソンランナーに決定!
SUPER EIGHT 横山裕『24時間テレビ』
— ORICON NEWS(オリコンニュース) (@oricon) July 31, 2025
チャリティーランナーに決定❗️
「俺です!」『ヒルナンデス!』で生発表https://t.co/hraEOCnN3P
子どもの頃、経済的不安を経験
「僕が走ることで少しでも力になれたら」
目的別募金《マラソン子ども支援募金》開設#横山裕 #24時間テレビ
▷横山くん 横山さん pic.twitter.com/70upIfVi7k
この発表には、多くの人が驚きとともに感動を覚えました。
なぜ彼が選ばれたのか、そこには横山さんのこれまでの人生と、支援にかける強い思いが込められています。
まずは、その想いが語られた内容から深掘りしていきますね。
24時間テレビのランナーに選ばれた理由
横山裕さんは、自身が24時間テレビのランナーに選ばれた理由についてこう語っています。
「僕は子どもの頃、経済的にも不安の中で生きていました。だから、今の時代にも同じように苦しんでいる子どもたちがたくさんいることを、僕が走ることで知ってもらいたいんです」
引用:スポニチ
実際、横山裕さんの幼少期は壮絶で、家庭環境の問題や貧困を経験してきた過去があります。
その経験があるからこそ、ただの芸能人ランナーという立ち位置ではなく、「支援の象徴」として横山裕さんが選ばれた理由が、ぐっと伝わってきますよね。
さらに「僕一人の力で社会を変えることはできないけれど、見てくれる誰かの心に届いたらうれしい」とも語っていました。
こうした等身大の言葉が、より多くの人の心に響いているのではないでしょうか。
実際、今年は「マラソン子ども支援募金」という特別な募金枠も設置され、横山裕さんの走りを通じて寄付の輪が広がる取り組みも始まっています。
次は、横山裕さんがなぜこんなにも「支援」や「子ども」に対して深い思いを持つようになったのでしょうか。
その原点となる幼少期について、見ていきましょう。
横山裕の幼少期が壮絶すぎた!
一見、明るくムードメーカーな横山さんには、強くならざるを得なかった子ども時代があります。
ここでは、横山さんがどのような環境で育ち、どんな気持ちを抱えていたのかを深掘りしていきます。
両親の離婚と母親の再婚
横山裕さんは、大阪で生まれ、3歳のときに両親が離婚しました。
その後、母親の再婚により、義父と暮らすようになります。
しかしこの再婚生活は、決して温かいものではありませんでした。
- 義父は横山さんにだけ冷たく接し、「お父さんと呼べ」と強要
- 時には手を上げることもあったと言われています
- 血のつながった弟2人には優しく、自分との差に強い孤独を感じていたそうです
- 横山さんは義父のことを「あのおっさん」と呼び、心を閉ざしていたと語っています
こうした状況の中で、横山さんは「家族の中で自分だけが異質な存在だ」と感じながら育ったのだと思います。
母親の存在
物理的にも精神的にも過酷だった環境の中で、横山さんの心の支えとなっていたのが母親の存在でした。
家族5人で5畳の部屋に暮らすような極貧生活で、食事も質素で「ハムにご飯を挟んでマヨネーズ」でしのいだ日々だったと言います。
それでも「小さい頃の夢はお母さんと結婚することだった」と語るほど、母への愛情が強かったのです。
母の愛情があったからこそ、苦しい現実の中でも希望を持つことができたのでしょう。
そしてこのときから、横山さんの中には「家族を守る」という使命感が芽生えていたようです。
家庭環境と母と弟との関係は?
横山さんが家族の中でどのような立ち位置を担っていたのか、そしてそれがどれほど大きな影響を与えていたのかを掘り下げていきます。
父親のように弟たちを支えた
横山裕さんには、父親の違う弟が2人います。
6歳下のツトムさんと、8歳下のミツルさんです。
再婚家庭という複雑な環境の中でも、横山さんは「兄として守る」という気持ちを強く持ち続けていました。
- 中学卒業後すぐに建設会社で働き、家計を支える
- 弟たちの学費を全額負担し、大学や専門学校へ進学させる
- 自分の時間や夢よりも、家族を優先して生きてきた
- 母の死後は父親代わりとして弟たちを支え続ける
さらに、母親が亡くなったとき、弟のツトムさんはショックで記憶を一時的に失ったと言われています。
そのときも、横山さんが傍で支え続けたというエピソードは多くの人の心を打ちました。
オニギシに込めた母への感謝
横山さんは、母親が亡くなった後にオニギシという楽曲を作りました。
この曲は、子どもの頃に「おにぎり」と言えず「オニギシ」と言っていた実体験がもとになっています。
歌詞には母との日々や食卓の思い出がちりばめられているコンサートで「オニギシ」を披露した際、涙で歌えなくなったこともありました。
それほどまでに、横山さんにとって母親の存在は心の支えだったのです。
弟の結婚式でのサプライズ
2023年、弟の結婚式で横山さんは3か月間もトランペットを練習し、サプライズ演奏を披露しました。
その姿には、兄としての愛情がにじみ出ていました。
こうした一つひとつのエピソードから、横山裕さんがどれほど強く、そして優しい人なのかが伝わってきますよね。
Q&A
- なぜ横山裕さんが24時間テレビのマラソンランナーに選ばれたの?
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自身が幼少期に貧困や家庭問題を経験しており、「同じように苦しむ子どもたちに支援の手を届けたい」という強い思いから選ばれました。番組でもその熱意が語られています。
- 幼少期、横山裕さんはどんな家庭環境で育ったの?
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両親の離婚後、母の再婚相手との確執、貧しい生活環境の中で育ちました。義父との関係は険悪で、心の居場所は母親と弟たちだけだったそうです。
- 横山裕さんはなぜ中卒で建設会社に就職したの?
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弟たちの学費や家計を支えるため、中学卒業と同時に建設現場で働き始めました。その後、母の応募によってジャニーズ入りを果たします。
- 「オニギシ」ってどんな曲?なぜ作られたの?
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幼い頃の言い間違い「おにぎり→オニギシ」にちなんだ、母への感謝と愛情を込めた楽曲です。母の死後につづられた想いが詰まっています。
- 横山裕さんと弟たちの関係は今も続いてる?
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現在も非常に仲が良く、弟の結婚式では3か月間トランペットを練習してサプライズ演奏を披露したほど。兄としての深い愛情が伝わるエピソードです。
まとめ
今回の記事では、横山裕さんの壮絶な過去と、家族への深い愛についてご紹介しました。
この記事のポイントは以下の通りです。
- 2025年の24時間テレビでチャリティーマラソンランナーに決定
- 幼少期は義父との確執や極貧生活を経験
- 母親との深い絆が生きる希望に
- 中卒で建設会社に就職し、弟たちを支える
- 「オニギシ」に込めた母への愛が涙を誘う
- 弟の結婚式ではトランペット演奏のサプライズも話題に
横山裕さんの言葉や行動からは、家族を想う優しさと、過去を乗り越えた強さがにじみ出ていますね。
横山裕さんの24時間テレビのマラソンランナーを応援したいですね!