かつて報道番組やバラエティで活躍した山本モナさん。
現在は司法試験に合格し、新たなキャリアを歩んでいます。
この記事では、山本モナさんの小学校・中学・高校・大学・ロースクールまでの学歴を時系列で徹底紹介します。
山本モナの出身小学校は?
こちらの小学校はすでに廃校となっています。
尾道の坂道を6年間通い続けたという山本モナさんは、「よくこんな坂道を6年も登ってたな」と振り返っており、粘り強さの原点がこの時期に育まれたようです。
小学生の頃から勉強に意欲的で、5年生のころには塾にも通い始めたといいます。
また、当時は「やまさん」と呼ばれていたそうで、素朴ながらも努力家の一面がすでに表れていたようです。

小学校時代から努力家だったのが伝わりますね。
坂道通学が根性を鍛えたというのも、モナさんらしいエピソードです。
小学校時代のエピソード
小学校では朗読や作文が得意で、クラスでも活発に発言するタイプだったそうです。
ノルウェー人の父と日本人の母を持つハーフでありながら、当時は「見た目が少し違う」ことで悩んだ時期もあったといいます。
それでも明るく前向きな性格で、友人も多く、クラスの人気者だったとか。
小学校高学年になると、勉強に本格的に取り組み、将来「絶対に何かになる!」と強い意志を持っていたとのこと。
幼少期からのその向上心が、後のキャリアにもつながっていったことは間違いありません。
山本モナの出身中学校は?
カトリック系の伝統ある女子校で、学力・品格ともに高い学校として知られています。
偏差値は約49〜53で、中学受験を経て進学したとみられています。
この学校では英語教育にも力を入れており、ネイティブ教師による授業や宗教行事など、国際的な学びの環境が整っていました。
山本モナさんは、外国語教育に触れる中で自身のルーツを意識するようになり、「もっと世界を知りたい」という思いを強めたそうです。

中学生の頃から国際的な感覚を育んでいたんですね。
今のグローバルなキャリアの原点はここにありそうです。
中学校時代のエピソード
女子校ならではの厳しさと温かさが共存する環境で過ごし、友人との絆を深めた中学時代。
山本モナさんは学校生活の中で、成績優秀ながらもユーモアのある性格で、クラスのムードメーカー的な存在だったそうです。
一方で、父親の帰国や家庭環境の変化など、思春期に複雑な感情を抱える時期もありました。
そんな中で山本モナさんは「自分で自分の人生をつくる」という強い意識を持ち始めたと語っています。
この時期の経験が、後の挑戦的な人生観につながっているようです。
山本モナの出身高校は?
偏差値は60〜61と高水準で、進学校として知られています。
高校時代は勉強一筋というより、友人との時間や学校生活を楽しむタイプだったと本人が語っています。
恋愛よりも友情重視で、「女子校だったのでデートしたことがなかった」と笑いながら話したこともあります。
また、尾道の町並みや文化をこよなく愛しており、地元が舞台の映画ロケにもエキストラ出演したことがあるそうです。

高校時代のモナさんは「素の自分」で青春を楽しんでいたようですね。
地元愛の強さもこの頃から感じられます。
高校時代のエピソード
自由でのびのびとした校風の中で、友人と語り合いながら未来を考えていたといいます。
一時期は「もっと自由に生きたい」と思い、少し反抗的な時期もあったそうですが、
基本的には真面目で努力家。
授業態度や提出物などは常にきちんとしていたタイプだったようです。
尾道という文化的な町の中で過ごした高校生活は、山本モナさんの感性を豊かに育て、のちのアナウンサーとしての表現力にもつながっていったといえるでしょう。
山本モナの出身大学は?
偏差値は66〜69と全国的にも難関レベル。
東京都内の名門校であり、皇族関係者も多く通う伝統校です。
法学部では憲法や刑法、国際法など幅広く学び、社会の仕組みや倫理観を深く理解するきっかけとなったそうです。
在学中の1996年には「ミスハリー・ウィンストン」グランプリに選ばれ、華やかな学生生活を送っていました。

まさに才色兼備という言葉がぴったりですね。
学問も芸能も両立していた学生時代が素敵です。
大学時代のエピソード
大学では幅広い友人関係を築き、社交的な性格で知られていました。
恋愛にも積極的で、「好きな人の会社まで会いに行ったことがある」と笑って話すなど、情熱的な一面も。
法学の学びに加え、文化活動やイベントにも積極的に参加し、後にアナウンサーを志す土台を築いていきました。
法学を通じて社会の正義や人権問題に関心を持ち、将来的に社会貢献できる仕事をしたいという思いを強めた時期でもありました。
山本モナの出身大学院は?
日本語プログラムで履修しながらも、内容は本格的な海外ビジネス教育。
経営学全般を体系的に学び、マーケティング、ファイナンス、リーダーシップなど幅広い分野に取り組みました。
修士論文は現地イギリス・カーディフで審査を受け、グローバルな視点から経営を考える内容だったとされています。
芸能活動と家庭を両立しながらの学びで、「毎晩明け方までレポートを書き続けた」とブログで語っており、その努力が多くの共感を呼びました。

働きながらMBAを取るなんて本当に尊敬します。
時間の使い方と根性、どちらも桁違いですね。
大学院時代のエピソードは?
大学院では、社会人学生として多くの仲間と共に刺激的な時間を過ごしました。
山本モナさんは、グループワークやスカイプを使った遠隔ディスカッションにも積極的に参加。
家庭と勉強を両立するなかで、夫の支えや仲間の励ましが大きな力になったそうです。
修士論文提出前は徹夜が続いたことも多く、「努力の証であるMBAを今後の人生で必ず活かしたい」と語っていました。
この経験が後の司法試験挑戦にもつながる、重要なターニングポイントだったといえるでしょう。
多国籍なチームとの課題発表や意見交換を通じて「自分の意見を持ち、相手を尊重する大切さ」を学んだといいます。

仲間と夜通し議論する姿が目に浮かびますね。
MBA取得が次の「司法の道」への布石になったのは納得です。
山本モナの出身ロースクールは?
48歳での再挑戦は大きな話題を呼び、「クラスでは年上だったけれど、普通の学生として頑張った」と語っています。
司法試験合格率の高い早稲田ロースクールで、子育てと勉学を両立しながら努力を続け、2025年11月には司法試験に見事合格。
3児の母として、学び直しの象徴的存在となりました。

48歳でロースクール卒業、そして司法試験合格。
本気で挑戦する姿勢が本当にかっこいいです。
ロースクール時代のエピソード
ロースクールでは20代のクラスメイトに囲まれながらも、対等に意見を交わし、むしろ人生経験を活かして授業に貢献していたそうです。
山本モナさんは「学びに年齢は関係ない」と語り、SNSでも「挑戦する女性を応援したい」とメッセージを発信。
夜中まで勉強を続ける日々の中、母としての責任と学生としての努力を両立したことが、山本モナさんの大きな転機になりました。
山本モナは現在何してる?画像はある?司法試験に合格したのはいつなのか解説!はこちらをお読みください。

山本モナの旦那は中西聖!子供は何人で出産年齢はいくつだった?はこちらをお読みください。

まとめ
山本モナさんの学歴は、尾道市立筒湯小学校 → 福山暁の星女子中学・高校 → 学習院大学 → ウェールズ大学MBA → 早稲田ロースクールという多彩で挑戦に満ちた道のりです。
メディアでの活躍だけでなく、法曹の道を志し、司法試験にも合格した姿は、多くの人に勇気を与えています。

「人生100年時代」と言われる今、
モナさんのように何度でも挑戦できる生き方は、本当に励みになりますね。

