かつてテレビで見ない日はなかった山田邦子さんが、今また注目を集めています。
若い頃はなんと月収1億円を稼いでいたという伝説や、誰もが真似したバスガイドネタも話題に。
さらに、夫はテレビ制作会社の社長さんだった!という驚きの事実までご紹介します。
山田邦子の全盛期とは?
芸能生活42年…山田邦子が母の介護を語る! 渡辺徹さん、笑福亭笑瓶さんとのエピソードも 『徹子の部屋』 https://t.co/AXlY4HVALW #徹子の部屋 #黒柳徹子 #山田邦子 pic.twitter.com/z5hErT8zwl
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本名:後藤邦子(ごとうくにこ)
生年月日:1960年6月13日(2025年5月現在64歳)
出身地:東京都荒川区
身長:168センチ
バラエティ番組、ドラマ、CM、さらには紅白歌合戦の司会まで担当するなど、山田邦子さんの全盛期はとてもすごかったのです。
当時は1週間に10本以上のレギュラー番組を抱えていたこともあり、「見ない日はない」と言われるほどの人気ぶりでした。
山田邦子さんの明るく親しみやすいキャラクターと面白い話術は、多くの人の心をつかんで離しませんでした。
山田邦子の若い頃は月収1億円!
山田邦子「ひょうきん」時代は月収1億を現金で手渡し!渡辺正行も1億超え https://t.co/3y1F2PrCEn pic.twitter.com/3sOFLIYbTj
— MSN Japan (@MSNJapan) November 22, 2015
山田邦子さんが「テレビの女王」と称された当時、CM契約は複数社、番組のレギュラーも10本超えでした。
さらに著書の印税やイベント出演なども含めると、月収が1億円を突破したといいます。
これは1980年代末のバブル期という背景もあり、芸能界全体が高額ギャラ時代だったことも影響しています。

え…月収!? 年収じゃなくて!?
すごすぎる〜!!!
バブル期だったとはいえ、それだけの収入を得られるのは山田邦子さん自身の影響力の強さがあってのことです。
出演した番組の視聴率が高かったことで、スポンサー価値も非常に高く、自然と単価が上がったと考えられます。
【動画あり】山田邦子のバスガイドネタはどんなの?
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山田邦子さんの代名詞とも言えるバスガイドネタは、観光バスのマイクを持った陽気なガイドを絶妙な間とトーンで演じるものです。
「右をご覧くださ〜い♪」といったフレーズと「ギャーハッハッハ!」というオーバーリアクションのギャップが大ウケし、一気にお茶の間の人気者になりました。
単なるモノマネではなく、山田邦子さん独自のユーモアが詰まったネタでした。

このテンポ、クセになる…!昭和の笑いってやっぱり味があるな〜
当時のモノマネは、単に似せるだけでなくキャラ化して笑いを取るスタイルが主流でした。
山田邦子さんは、ネタにリアリティとユーモアを加えるのが非常に上手く、それが老若男女問わず支持された理由でしょう。
山田邦子の夫はテレビ制作会社の社長だった!
2000年に結婚した夫後藤史郎さんは、テレビ制作会社「ゴッズダイナミックワールド」の社長です。
業界内でも実力派として有名だった後藤史郎さんと山田邦子さんは番組を通じて出会いました。
笑いに対する情熱など、通じ合う部分が多く、自然と惹かれ合ったと言われています。
結婚後は公私ともに信頼できるパートナーとして、山田邦子さんの人生に温かさをもたらしてくれる存在なのでしょう。

夫婦でテレビ業界って、最強のタッグじゃん…!
同じ業界ならではの悩みなんかも理解しあえて素敵だね!
人気絶頂の芸人と、番組制作会社の社長との結婚は、まさにお互いをよく理解し合える組み合わせですね。
表舞台と裏舞台、両面を知る2人だからこそ築けた関係なのかもしれません。
まとめ
山田邦子さんは、1980年代から90年代にかけてテレビの最前線で活躍し、「見ない日はない」とまで言われた人気芸人でした。
当時の月収はなんと1億円超え!
伝説となった「バスガイドネタ」は、誰もが真似をし、昭和のお茶の間に笑いを届けました。
私生活では、テレビ番組を通じて出会ったテレビ制作会社の社長と結婚し、公私ともに支え合う関係を築いています。
今後も山田邦子さんの活躍に期待ですね!